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PROFILEMyrah Kay(マイラ ケイ)

沖縄生まれのアメリカ育ち、乙女座のO型、四姉妹の長女。18歳の時、歌手を目指して単身東京へ。

1984年1月21日に、東芝EMIからアルバム「What Can I do?」とシングル「My Guy」をリリース。

次女のPennyこと当山ひとみ(コロムビアから先にデビュー)と、東海ラジオ「オーレックス・サウンドグラフィティー」で歯切れの良い英語と日本語のDJで好評を得る。その後、マルタ&マイラの「DJ That’s Enterjazzment」で色々なミュージシャンと出会う。

1986年、日本を代表する名ドラマー、村上ポンタ秀一と「Nasty Girls」を結成。マイラ・ケイの名前がライブハウスで知れ渡る。

1987年、ロックバンド「ARB」の石橋稜の初主演の映画,「優駿」(フジTV「北の国から」の杉田成道の演出)にジャズシンガー役として出演。

1992年、1995年、1998年に杉田監督の演出で手塚治虫「陽だまりの樹」の舞台で生歌を13曲熱唱。

1996年、横浜中華街の老舗オーナーが新山下町に大きなライブハウス「BluesCafe」をオープン。「横浜の音楽シーンを変える手伝いをしてほしい」と、マイラケイはゼネラルマネージャー兼シンガーとして招かれる。再び日本だけではなく、世界を代表するシンガー達と交流。横浜を代表する元ゴールデン・カップスのエディー藩のプロデュースで、「花」、「Lonely night Lonely Blues」をリリース。

1997年11月22日に、関内大ホールでソロコンサート「マイラケイ/愛を歌う」が大成功を収める。

1999年の夏、マイラは再び活動の場を東京へと移したが、1999年11月18日に、ファンの「何処にいても横浜はマイラを忘れたくないから」との依頼で、横浜のイメージソング「Sea Breeze City」をリリース。

2000年11月18日に原因不明の難病「ベーチェット病」の患者の為に、CD「心でみつめて」をリリースしてチャリティー活動を開始。

2003年、ミッキー吉野/作曲、マイラケイ/作詞で、映画「少林寺」でその名を広めた李連杰(リーリンチェ)、今はハリウッド映画でも大成功しているJet Liに捧げる歌「Misty Moon」をリリース。

2007年6月、バースディ・コンサートに向けて、チャリティーCD「You Are My Angel」をリリース。

2007年9月11日、ヤクルトホールにてマイラケイ・バースデイ・コンサートを開催し、その様子をおさめたDVD「Myrah Kay Birthday Concert」がリリースされる。

2008年9月19日、六本木のスウィートベイジルSTB139にて、ライブ「マイラケイ&仲間達(村上ポンタ秀一)」が大成功を収める。

2009年1月12日、赤坂ポップコーンクラブにて、幻のユニットNasty Girlsが復活。キャリアウーマン、シングルマザーの応援歌「You Are The one」のリリースが待たれる。

2009年11月3日、長年のチャリティー活動が認められ、東久邇宮文化褒賞を受賞。そして2010年、ACEFA(Asian Children Education Fund Association)アジア子ども教育基金協会より、ACEFA特別参与チャリティー音楽祭プロデューサーという役職を授与され、チャリティーワールドツアーに向け、2011年、まずは埼玉から横浜、広島、長崎、沖縄へ。そしてアジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカへとチャリティーコンサートツアーを予定している。

2011年春、「未来に残そう青い海」と、「You Are The One」(働く女性、シングルマザーの応援歌)をリリース。